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考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

質の科学・意識とクオリア・心脳問題の基礎




*心脳問題の基礎34*その318*知性,論理,思考,意味,イメージ,本質,質,味わい,価値,心,意識,生物,社会,国家,自然,世界,宇宙,などの研究*





まず、基本に立ってみたいと思います。



メモ;質の科学・意識とクオリア・心脳問題の基礎1~34


質の科学・意識とクオリア・心脳問題を研究するにあたっての基本事項



まず、方針・心構えとして、次のような在り方が要求されると思います。

そういった方面を追求していくには、それらにおける;
現実に対応した定義の体系の構築、工学的モデルの体系の構築、(それらふたつは絡まりあっています)、(それらの構築に、思考実験・医学的事実・心に関する実験・さまざまな文献などの内容・その他、なども参加させる)、
さらに、それらの、思考実験による検証、医学的事実による検証、心に関する実験による検証、さまざまな文献などによる検証、その他などによる検証、などをなすことが必要だと思われます。

以上の研究がないと、あるいは以上の研究途上にないと、こういった方面の議論・コミュニケーション(あるいは研究も)は成立しないことが多いと思われます。



以下にそういった方面の「定義・工学的モデルのうち立て」を数多くなしますが、まず、それらの定義・工学的モデルについての注、です。

以下、そういった定義(工学的モデルを含む)においては、現実がそれに対応しているかどうか、現実がそのとおりになっているかどうか、要検証のものがある。
それとは異なって、定義したければそう定義していい、検証は不要である、というものもある。
後者は、芸術的な要素から成るものである(と思われます)。

そこを更に詳しく言うとこうなります。
定義したものたち(工学的モデルを含む)についていうと、現実が定義どおりになっているものたちと、現実が定義どおりになっていないものたちがある。
その前者たちが、検証できる(検証する、ではなく、検証できる)対象となるが、実際に検証できるものたちと、本質的に検証できないものたちがある(あるいは加えることのその他)。
それらはいずれも要検証の範疇に入るということになるが、前者の後者(現実が定義どおりになっているものの、本質的に検証できない定義たち)は実際問題として検証はできない。しかしそれでもなお現実はそうなっている、という定義・工学的モデルである。そういったケースもありうる。
次に、現実が定義(工学的モデルを含む)どおりになっていないものたちについていえば、それらは本質的に検証不可能、ということになる。そういったものたちは芸術のようなものである。

以上、注)終わり、です。



注)ここからは、定義に工学的モデルを含めます。
つまり、定義=定義(工学的モデルを含む)ということです。



まず、意識について。

意識の定義;複数の定義がある。
要検証のものもある。

「意識」をはっきりと定義しておかないと、コミュニケーションにおいて、さまざまな誤解や対立、混乱が生じると思われます。

定義1;医学的に、意識がある、という場合の意識、にもっとも近く、意識し感じ味わうだけの性質・機能であって、人間において一生変化しないものであって、例えれば、コンピュータのモニタの機能に似ている意識。
別名を、味わいモニタ、とするのも妥当でしょう。
意識の器(ハードウェア)はモニタで例えられる。
これは要検証(つまり、現実がそうなっている可能性があるので、検証することができ、そうだと検証されたら、この定義は絶対にはずせない、用いなくてはならない、ということです)。

注)この定義は、こういった方面における、最重要な定義のひとつです。
この定義は、脳の分業(脳における機能の分業)、人間における知的・情報的・形而上的活動の分業、などに着目することからも導きだされます。

注)この定義は、「意識的」という概念・単語から遠く離れている。というより、対極にあると言った方が正確でしょう。
定義の必要性がよくわかる(と思います)。
他にも、認識、自覚、認知、知覚、その他、などの概念・単語にも注意深く接する必要があるでしょう。

注)人間において一生変わらないものとしては、この意識と性別しかない(性転換は除く)。
ここは非常に重要です。
それを考えて実感してみてください。考えて実感できるはずです。繰り返すと、人間において一生変わらないものとしては、その意識と性別しかない(性転換は除く)のです。
さて、なにがその不変を保つのか。
それは、意識・意識の器・意識の主体です(大本は意識の器)。
そのほかのものはすべて変化していく。形而上的なものも形而下的なものもすべて変わっていく。思考力、記憶、思想、環境・境遇によって形成されたもの、性格、性質、能力、実力、認識力、感情、すがた形(見分けはつくことが多いが)、その他、などすべては変わっていく。

注)日本語の意識、というのは、心・考え(意)を知る(識)、といった意味であって、心のモニタ、という感じの意味・概念になっています(外国語については知りませんが)。


定義2;認識する力や思考力を含めて、心で知的操作・情報処理を行う、という機能の実態を含めた意識。
実はこれは、心の定義のひとつである(定義する立場によって変わる。定義のし方によって変わる。これを意識と定義している方々がいる)。
この定義は、「意識的」という表現にかなり対応している。
この検証の必要性は小さいと思われる。
そのハードウェア(器)は、心のそれ(後述)と同じ。

定義3;定義2に定義1の意識も含めたところの意識。
この検証の必要性は小さいと思われる。

定義4;気持ちや考え方の傾向・心の状態といったような意味の意識。目的意識、はここに入る。

定義5;定義2、または定義2+定義3、あるいは定義2+定義3+定義4に、意識内容(後述)を加えたところの意識。
意識と意識内容は区別されます。

定義6;知的操作感、あるいは加えることのその実態(知的操作感、またはその実態、あるいはそれら両者)。
この定義は、「意識的」という表現にかなり対応している。

定義7;その他。



注)意識、意識内容、意識の器、はそれぞれ区別されます。
ここは非常に重要です。
心、クオリア、についても同じような注意が必要です。
それらを一緒くたにすると、コミュニケーションにおいて、誤解、衝突、混乱などが起きます。



意識のハードウェアの定義

意識の定義の中に書いてあります。
必要なら全部書きますが。




意識の主体の定義。

「意識の定義1」において;
意識の主体の定義1;自分なる意識。

「意識の定義1」において;
意識の主体の定義2;自分なる意識+自分の意識の器。


その他、他の意識の定義に対応した定義は可能であるが、そういう定義の必要性は低い(と思います)。
必要なら、全部書きますが。



意識の主体の定義;それら以外のその他




意識内容の定義。

これは、意識の定義が複数あるので、それらに対応して以下に記すものよりずっと複雑で数が多くなる。

必要性の高いものだけを記します。
必要なら、全部書きますが。

意識内容のハードウェアの定義1;なんらかのエネルギーに伴われる波動パターン・変化していく波動パターンにおいて、そのエネルギー。
これは要検証(つまり、現実がそうなっている可能性があるので、検証することができ、そうだと検証されたら、この定義は絶対にはずせない、用いなくてはならない、ということです)。

意識内容のハードウェアの定義2;なんらかのエネルギーに伴われる波動パターン・変化していく波動パターン。
これは要検証(つまり、現実がそうなっている可能性があるので、検証することができ、そうだと検証されたら、この定義は絶対にはずせない、用いなくてはならない、ということです)。

意識内容のハードウェアの定義3;その他。



注)ノーベル賞物理学者・南部陽一郎さんの「ひも理論(弦理論)」、そこから発展させられてきた「超ひも理論(超弦理論)」も、超微細なひもの振動モード・パターンで、素粒子や物質の性質や構造の説明、すべての力の統一理論、などを追求している。
波動パターンというのも、それらの超微細なひもの振動モード・パターンと同じ概念であって、拒否する要素はないといえます。



意識内容の定義1;意識が意識内容を意識し感じ味わう、その味わいそのもの。

意識内容の定義2;なんらかのエネルギーに伴われる波動パターン・変化していく波動パターン。
これは、意識内容のハードウェアの定義2に(と)同じ。

意識内容の定義3;なんらかのエネルギーに伴われる波動パターン・変化していく波動パターンの内容・実態。

意識内容の定義4;意識内容(同語反復で定義になってませんが、これは必要な気がするので追加します)(内容、の定義が必要になってくる。内容とか本質、質などの定義も)

意識内容の定義5;その他。


(研究中です)
?意識内容の実態;対象や体験の写像になっているケースでは、その写像=対象や体験の実態?(研究中です)。
対象や体験に基づかないものもある。
対象・体験とは何か。対象・体験の情報とは何か。本質的情報とは何か。?(研究中です)。
これは、投稿している別な論にあります。


(つづく)



心の定義;複数の定義がある。
これには検証すべき点は少ないと思われる。

「心」もはっきりと定義しておかないと、コミュニケーションにおいて、さまざまな誤解や対立、混乱が生じると思われます。

定義1;脳をコンピュータに例えた上で、その中に例えられる部分があるとすると、中央演算処理装置(CPU)+ランダムアクセスメモリ(RAM)(RAMにプログラムやデータを呼び出して一時的に仕事台・仕事場とする)+キャッシュメモリ+あと何か、のもつ性質・機能。
そのコンピュータで例えたハードウェア+あと何か、が心の器である。
この検証の必要性は小さいと思われる。


注)人間の脳と形而上的活動を、コンピュータで(に)完全に例えることはできない(と思われる)。
ただし、かなり参考にすることはできる(と思われる)。



定義2;定義1に、意識の定義1の意識を加えたところの心。
この検証の必要性は小さいと思われる。

その他、複数の意識の定義と同じような定義もいくつもできるが、必要性は低いと思われるので、省きます。
必要なら、全部書きますが。

定義X;以上の他の定義。




心的内容の定義。

心の定義それぞれがやっていることの内容。


心的内容に、「何らかのエネルギーに伴われる波動パターンとその変化」という定義が与えられるのか否か。
これは難しい。
知性体と名付けられるべき波動性の高い存在があって、知性はそこに存在するなら、そういえるが、そこは要検証である。
(それは後述の、
「そこにおいて、
意識の主体が、
「3;脳・脳の組織より、もっと波動性の高い存在に存在する。
3-1;脳・脳の組織より、もっと波動性の高い存在のハードウェアに存在する。
3-2;脳・脳の組織より、もっと波動性の高い存在のハードウェアの活動によって生じる。」以下(4,5,も含めて)、
に対応している(そのものである)のなら、心もそれと同系列の存在である可能性が高い(要検証です)。」
にあります)。
研究中です。
(行列みたいなもので表現できる?)
研究中です。


参考(イメージ思考で考えたもの。仮説とまではいかない)
意識は心のモニタ
→意識内容は心的内容と(に)同値
よって、心的内容も、なんらかのエネルギーに伴われる波動パターン(または加えることの、に変換できる)
よって、その波動パターンの変化していく様子を分析すれば、思考・知性など心の機能・働きがわかる

参考(イメージ思考で考えたもの。仮説とまではいかない)
心は普通、一体性・全体性を形づくっている
よって、意識~意識内容について論じたのと同じように、心的内容もなんらかのエネルギーに伴われる波動パターンである
よって、その波動パターンの変化していく様子を分析すれば、思考・知性など心の機能・働きがわかる

(意識内容と心的内容の関係など)




意識は心のモニタである(定義の中のひとつ。要検証)。



言葉は、心が操っている(定義の一種です。言葉の定義については後述します。いずれも要検証です)。

言葉は知性が操っている(定義の一種です。言葉の定義については後述します。知性の定義も必要。いずれも要検証です)。



言葉には、音声言葉、文字言葉、身振り言葉、記号体系(文字言葉以外の)、などがある。
それらは、表象・象徴・記号と、心的内容の対応によって成立しており、そこのメカニズムは、



(以下も、要検証ですが)

言葉を持たない原始人が、赤い花を見たら、まさに赤い色という意識内容(質。クオリア)を意識し感じ味わう。
素直に普通に考えれば、そういう結論がでるだろうが、その証明のようなものをなしてみます。
意識の器での波動パターンのひとつが、赤い色に対応している。よって、意識をもった存在(人間など)は、赤という色を意識し感じ味わう能力を本質的・必然的にもっている。
心から、その意識内容に対応した情報が意識の器に送り込まれれば、どんな人でも、その意識は赤という色を意識し感じ味わう。
脳がそういう情報処理ができるように普通に育っていれば、その人は赤という色を意識し感じ味わうことになる。


注)そのばあいで、その人が自然界の中で普通に育っていなくて、色のない世界で育っていたばあいは、脳が赤という色の情報処理ができないように育っている可能性はあるので、そういう場合は除く。
(これは書きたくないんですが、色覚異常のケースも除きます)。


言葉によって意識が生じる、という説があるんだそうですが、
言葉を用いるようになると、言葉を用いた心的内容~意識内容が生じるようになるだけであって、言葉を用いなくても意識はあるのです。
以前にも記したけれど、心、思考、心的内容、意識、意識内容、などの区別は非常に大事です。

(以上も、要検証です)




心も一生変化しないといえるか?
それは定義によるが、そういえる定義としては、

知性、思考力などは変化していく。

一生変化しないものは、意識と性別のみ


(研究中です)


(つづく)


こういった方面におけるさまざまな定義の途中ですが、ここに次の研究を挿入する必然性を感じます。


定義などにおける単語からのアプローチ

こういった方面にある数多くの単語たちを分類し、必要な範疇に入れ、最小限の数にまとめる・整理する。


(研究中です)
心、精神、認識、主観、自覚、知覚、思考、意志、意思、考え、想像、気づく、配慮、関心、感心、心がけ、認知、理解、意味、価値、遠慮、推測、勘、感じ、気持ち、情け、知る、覚える、悟る、覚る、鑑みる、省みる、感じる、味わう、見る、聞く、話す、比較、断定、納得、推察、感情、感覚、情動、自覚、本能、案じる、納得する、感知する、関知する、見分ける、わきまえる、認める、意図的、意識的、自信、知性、理性、感性、悟性、知・情・意、感覚、解釈、感動、心理、無意識、潜在意識、感嘆、識別、主観、客観、知識、思慮、思惑、気
持ち、心持ち、思いやり、情け、情趣、おもむき、望み、志、考え、意味、わけ、心当たり、こころある、心得、心がけ、こころざし、心に受け止める、など
の概念・単語・その実態
についても研究(品詞不統一)
(重なっているところ、もの、が多そうですが。不必要なものもありますが。まだまだあるでしょう)
たぶん、それらは、この論におけるさまざまな定義たちのどれか、または、どれかたちに属するでしょう。

(研究中)

ここを研究するにあたって、似たような用語が多すぎるし、意味のわかりにくい用語もあるし、など、ともかく単語が多すぎるので、整理するために、まず、大和言葉だけを用いるようにしてみます。
大和言葉だけで、ほとんどの定義ができるはずだという前提に立って。
あるいは、それをやっていくと、すっきりした言葉での体系を構築する足掛かりになると考えて。

その上で、足りない概念・単語があったら(あると思われたら)音読みの用語を採り入れることにします。


それらの中の大和言葉(訓読み);

心(ココロ)、魂(タマ、タマシイ)、情け、知る、考える、覚える(憶える)、思う、悟る、鑑みる(カガミルの転化)、省みる、認める、味わう、見る、聞く、話す、


注)知るのシは、知の音読み・チに似ているが、大和言葉だ(とずっと思ってきた)。領る=しる=知るであるから。

注)憶える、は記憶する、である。覚えると憶えるは異なるが、元々は同じものである。

注)鑑みる(カガミルの転化)は、鑑・カンで音読みと同じであるが、偶然の一致である(と思う)。

注)ごく稀に、大和言葉だと思われているもので、音読み(漢語からのもの)があるようだ。それとも、漢語とも語源が同じか?
例えば、馬・うま?(うろ覚えですが)、大和言葉という感じなんだが。
まあ、これは余談です。


さて次に、それらの定義を(に)いって(行って)みましょう。


覚える;知る、感じる、意識する、記憶する、

注)感じるは漢語からきている(と思う)。感はカンで音読みである。大和言葉のような気がするけれども。
感じるの大和言葉は、覚える、しかないだろう(心を動かす。思いが起きる)。
例えば、爽やかさを感じる=爽やかさを覚える。
爽やかさを認めるもぎりぎりセーフか。


思う;意識する、考える、

考える;知性を働かせる、思考する、

悟る;納得する、意識する、考え納得する、認識する、

認める;心に入る、意識する、理解する、納得する、認識する、

情け;感情の方面の心の情報に関するもので愛・慈悲などの世界にある心の内容

かんがみる;いくつかを比べあわせて考える

かえりみる;過去のことを思う、反省する、気にかける、


こころ・心;人間において物質的でなく手にもさわれず見えず聞こえず姿形のない性質・働き・機能・作用をもつものであって意味・価値などをもつ命の世界のもの、あるいはその性質・働き・機能・作用

(広辞苑によると)こころ;人間の精神作用のもとになるもの、また、その作用。
注)精神、を用いればかんたんだが深みがない。

たましい・魂;こころの中心、心の本体、精神の中心、精神の本体、意識、意識の本体、命の世界のものであってこころの中心、命の世界のものであってこころの本体、または以上のそれぞれを司ると考えられるもの。

(広辞苑によると)たましい;動物の肉体に宿って心のはたらきをつかさどると考えられるもの。
注)これはすっきりとしている。


意識を大和言葉だけで定義すると;心を認め覚える性と質(さがとたち)、またはその働き、あるいはその中身、となるだろうが、ここでの覚えるとは、思い出しの性と質(さがとたち)(つまり憶え)は除く、などと限ることが必ず要る。
(ここは、「意識」と「定義」以外はすべて大和言葉、で書いた、と思う)
(定義=中の法(のり。則でもいい)の定め、だろうか)

心を大和言葉だけで定義すると;人において物の質(たち)でなく手にもさわれず見えず聞こえず姿形(すがたかたち)のない性と質(さがとたち)・働き・からくりの質(たち)・働きの質(たち)をもつものであって性と質(さがとたち)の味わい・役に立つ質(たち)などをもつ命のすべての空と間(そらとあいだ)のもの、あるいはその性と質(さがとたち)・働き・からくりの質(たち)・働きの質(たち)。

注)空と間(そらとあいだ)=この世とあの世=すべての世=すべてのところ=世界

いやはや難しいですな。



知性の大和言葉での定義;心が行う働きまたはその性と質(さがとたち)

以下、知性の中の理性・悟性・感性の定義をなしてみます(カントの用語だと思う。悟性があまりにもわかりにくい。「悟るさが(大和言葉で)」。訳がどうなのか? 単語だけで理解するには拡大解釈せざるをえない。
ここでは、悟る;納得する、意識する、考え納得する、認識する、を用いる)


理性の大和言葉での定義;ことわりを扱うたち、ことわりのたち。

理性の定義;理屈や合理性を働かすところの知性の働き・機能・性質


悟性の大和言葉での定義;思い考え認め悟り覚えるための働き・からくりの性と質(さがとたち)、その働きの質(たち)

悟性の定義;考え納得し認識するための知性の働き・機能・性質


感性の大和言葉での定義;美しさや情けや愛や味わいの心の覚え認めにかかわるものであって美しさや情けや愛や味わいなどのすべてのところにある心の中身またはその性と質(さがとたち)

感性の定義;感じるための知性の働き・機能・性質



さて、ここまでウォーミングアップしたら、次に進みます。
先に列べ挙げた数多くの単語たちを整理します。
ここからは大和言葉にはこだわりません。

定義1の意識⊃(含まれるものは意識のみ)

定義1の心⊃知性⊃理性・悟性・感性(知性を、感性を含むよう定義したもの)・認識、主観、自覚、思考、意志、意思、考え、想像、気づく、配慮、関心、感心、心がけ、認知、理解、遠慮、推測、勘、感じ、気持ち、情け、知る、覚える、悟る、覚る、鑑みる、省みる、比較、断定、納得、推察、自覚、案じる、納得する、感知する、関知する、見分ける、わきまえる、認める、意図的、意識的、自信、知・情・意、感覚、解釈、識別、主観、心に受け止める、思慮、思惑、気持ち、心持ち、思いやり、情け、望み、志、心当たり、心得、心がけ、こころ
ざし、

つまり、以上は知性の範疇に入る


知性には、ふたつの種類がある。

ひとつには;自覚・操作的知性であって、それは、
心=自覚・操作的心に含まれる

ふたつめには;非自覚・非操作的知性
これは、無意識、潜在意識、などの世界
無意識というのは、潜在意識の内容が意識されない点に着目した表現であって、機能・働き・性質などについては言及しない(とはいっても以下のような定義もできるが。無意識;自覚・自発性なしの情報処理の実態・実体
(無意識に、は自覚なしに、である))
よって、機能・働き・性質などについて論じるばあいは、潜在意識を用いる

潜在意識;心にあらわれないなんらかの記憶と心にあらわれないなんらかの情報処理の実態・実体
潜在意識=潜在心=非自覚・非操作的心
潜在意識は、後述の言葉の世界の駆動力・論理の基いになっており、言葉の構造と定義にも参加してくる概念・実態・実体である(と思われる)(定義にもよるが)。



識閾下(サブリミナル);意識と潜在意識の境界と潜在意識
この論においては、その、
意識=心=自覚・操作的心
潜在意識=潜在心=非自覚・非操作的心
である。




先に並べ挙げたものから省いたのは

さらに研究すべきは;(意味、価値、知覚?、感じる、味わう、感情、感覚、情動、本能、知性、理性、感性、悟性、心理、無意識、潜在意識、感動、感嘆、客観、自我、
これらの整理


記憶;知識、

情趣、おもむき、考え、意味、わけ、こころある、



感情、情動、本能、は、潜在意識とつながって

潜在意識⊃感情、情動、本能、

無意識



見る、聞く、話す、には知性と肉体の連携が要る


ここからは、音読みなどの単語

気づくの気は音読みだ。気づくは、心に入る・心にとまる、といった意味だろう。


感情;
感じるの大和言葉は、心に受け止める、心が動く、覚える、認める、
(感じる;カンは音読みだ)
情は、なさけ、なさけのたち(質)、


神経、というのはすごい文字構成になっている。神が経るもの、神の通る道、
たぶん、神のような不思議な何かが通る道、といったような




知性
知性体
意識の器のモデルのひとつ

後述の;
「そこにおいて、
意識の主体が、
「3;脳・脳の組織より、もっと波動性の高い存在に存在する。
3-1;脳・脳の組織より、もっと波動性の高い存在のハードウェアに存在する。
3-2;脳・脳の組織より、もっと波動性の高い存在のハードウェアの活動によって生じる。」以下(4,5,も含めて)、
に対応している(そのものである)のなら、心もそれと同系列の存在である可能性が高い(要検証です)。」

心の器がそういった存在なら、知性内容も波動パターンとその変化、ということになる。

その波動パターンの変化の中に「論理」と呼ばれるような形而上的・抽象的な実態が存在する、ということになるだろう(仮説。要検証)

その(変化の)論理とは何か?

1、外部の何かに共振するばあいがある、

2、ランダム(ここで、ランダムとは何か、という課題が生じる。ランダムの法則性とは何か)

3、なんの規則性も法則性も関数性などもない(ランダムに似ているが一応記しておきます)

4、変化の論理在り(それを追求しているのだが。一応記しておきます)

5、(2、)と(3、)と(4、)の混在、


以上を解明することは、知性を解明することであり、それは、心の機能・働き・性質の一面を解明することでもある


言葉の研究もそこにはいる
人間における言葉の学習過程を研究

言葉のモデルと定義についての研究はうしろにあります(研究途上)



心・知性・論理などの、コンピュータでの例え(完全には例えられない。一面を例える)

現在最も多く使われているコンピュータの構成
CPU(中央演算処理装置)
RAM(ランダムにアクセスできる読み出し書き込み自在なメモリ)
キャッシュメモリ(補助用高速一時記憶装置)
記憶装置
モニタ
マウス
その他


CPU・機械語
OS(オペレーティングシステム)
インタプリタ・コンパイラ(翻訳の一種を行うソフトウェアの一種)
アプリケーションソフト(プログラミング言語によって作成)
(以上のような位置づけ、接し方になっている)




CPUは機械語で動く
機械語は人間には扱いにくすぎる(機械語は訳のわからないパルスコード・二進法の数値なので、人間には訳がわからん。一覧表でその意味・命令の内容を見ることはできるが)
最終的に、人間に最も扱いやすいアプリケーションソフトによる表示から操作してCPUを駆動するために、上記の、CPU・機械語とアプリケーションソフトの間にあるソフトウェアたちが設けられた・つくられた。
上に並べたとおりの位置づけ、接し方になっている。

OS(オペレーティングシステム);ハードウェアの規格・機能・働きを抽象・情報化しソフトウェア化したものであって、必要な翻訳のためのソフトウェア(インタプリタ・コンパイラ)を介在させ、CPUとアプリケーションソフトとの間で命令やデータのやりとりを正確で効率的に行うためのソフトウェアである、


参考)
ホームページやブログなどを構築するのに、HTML(ハイパーテキスト・マークアップ・ランゲージ)を用いるが、かなり人間に理解しやすくなっている。眺めていればだんだんわかってくる。
しかし機械語で直接書こうとしたら、それはもう苦行だろう(機械語については、筆者はちらっと見たことがあるだけですが)。
ひとつのアプリケーションソフトの窓の上で、HTMLで書いて、それを目的のソフトウェアに組み込めば(ソフトが自動的に組み込んでくれる)、必要なデータや命令が、機械語にまで翻訳されて、CPUを駆動するわけである。


参考)有名なOSのウインドウズですが、OSの「窓・ウインドウ」というアイディアを最初に考えたのは、名古屋の技術者だそうです(うろ覚え)。
現在のPCのCPUのアイディアを考え、設計したのも日本人だそうです(もちろん、最初のCPUのことです)。



以上を参考にして、心・知性・論理・言葉などについて研究してみましょう。

(モニタは意識の器に例えられる、ということは既に書きました)。


感じとしては、
機械語は潜在意識での知性活動の言語に似ているような印象を受けるが、
そんなに単純ではないだろう


アプリケーションソフトの表示が、音声言語・書き言葉の音声・文字・記号などに例えられそうであるが、
そんなに単純ではないだろう




右脳

左脳




かなり整理されてきて見通しが立ってきました


つづく。
研究中です。




クオリアの定義


クオリアもはっきりと定義しておかないと、コミュニケーションにおいて、さまざまな誤解や衝突、混乱が生じると思われます。


クオリアの定義も意識内容あるいは心的内容の定義とかなり重なる。基本的には同じである。

これは、意識の定義が複数あるので、それらに対応して以下に記すものより複雑で数が多くなる。
必要なら、全部書きますが。

クオリアのハードウェアの定義1;意識内容のハードウェアの定義と(に)同じ。

クオリアの内容の定義1;意識内容の定義と同じである。

クオリアの定義は更にそれに加えて、次の「クオリアについて」で述べる複数の立場を織り込む(織り込み方を研究中です)。


次のクオリアの定義も同じく、心の定義が複数あるので、それらに対応して以下に記すものより複雑で数が多くなる。
必要なら、全部書きますが。

クオリアのハードウェアの定義2;心的内容のハードウェアの定義と(に)同じ。

クオリアの内容の定義2;心的内容の定義と同じである。

クオリアの定義は更にそれに加えて、次の「クオリアについて」で述べる複数の立場を織り込む(織り込み方を研究中です)。



クオリアについて。

クオリアの研究・追求において、複数の立場がある。

1;クオリアの内容を研究する、人間的・文学的・芸術的・人文的・歴史的・その他の立場。

2;クオリアの味わいそのものを研究する、人間的・文学的・芸術的・人文的・歴史的・その他の立場(1;とほぼ同じ?ですが、必要性を感じるので記しておきます)。

3;クオリアの物理的・工学的側面を研究する立場。クオリアのハードウェアを研究する立場。

4;クオリアを抽象的に言語表現する立場。

5;クオリアを具体的に言語表現する立場(よくわからない考え・内容・命題ですが、記しておきます)。

6;その他。




記憶について(これは、この先文献を読んで定義の体系での位置づけを研究すべきで、未熟

記憶には、一時記憶、短期記憶、長期記憶、

思考力も記憶されたソフトウェアのような一面を

記憶は変化していくものであって、

コンピュータを参考に

一時記憶以外の記憶は心を構成しない

(研究中)



思考力について(これは、この先文献を読んで定義の体系での位置づけを研究すべきで、未熟

思考力も記憶されたソフトウェアのような一面を

コンピュータを参考に

知性




以下、以前研究した、共振(あるいは形、または曲線、もしくは曲面、あるいは三次元以上の形で表す)による発想・思考などのシステム

思考の材料を基本単位に分割(思考基本材→基材と名付ける)

基材はいくつもの要素をもっている

それら要素をそれぞれ振動数で表す(あるいは形、または曲線、もしくは曲面、あるいは三次元以上の形で表す)

任意の基材は、その基材のもつ要素と同じ要素をもつ基材に共振する

それが伝播していき、共振する基材たちが増えていく

増えたところでフィルターにかける

そのフィルターというのは、論理という要素をもち、


(つづく)





意味について

意味;心的内容
意味;意識内容

意味;心的内容に伴われる何か
意味;意識内容に伴われる何か

意味;波動パターン




本質とは

本質;エネルギーに伴われる波動パターン、あるいはその内容(要検証)


空間のエネルギーなどを用いて、対象に意識の器が共振することができるのならば、その共振によって生じた波動パターンが対象の本質(と定義する。要検証)





コンピュータを参考に、人間を考える、特に脳または脳に対応したものについて考える

コンピュータ;PCというハードウェア、ハードウェアの機能(分業になっている)、ソフトウェア、情報処理内容、モニタでの情報表現・発現

人間の脳;脳というハードウェア、脳というハードウェアの機能(活動により発現する機能も含めて)(分業になっている)、脳にある・対応するソフトウェア、脳での情報処理内容、(以上は心の存在するところ、心に対応している存在)、意識の器、意識、意識内容、


1)コンピュータは完全に脳に対応している

2)コンピュータは完全に脳に対応しているわけではない

3)コンピュータと脳は異なる要素・面が大きい・多い


そこにおいて注目したくなるのは、
ハードウェア、ハードウェアの機能、それらにある・対応するソフトウェア、それらとそれらによる情報処理、それらとそれらによる情報処理の内容、
それらをそれぞれ区別すること、



(これも研究中です。全部研究中です)



言葉の構造と定義(仮説です。要検証。研究中です)

言葉における単語など(発音、文字、ジェスチャー、記号、絵、数値、コード、など)は、なんらかの心的内容に与えられた・結びつけられた、表象または象徴あるいは記号であって、その表象・象徴・記号に人間が接すると、人間の心の中でその表象・象徴・記号に対応した心的内容が生じる(基本的に、人によっていくらか~かなり異なった心的内容が生じる。しかし、普遍性・共通性も多い)。
注)その表象・象徴・記号と、心的内容との対応において、ある特定の(この表現はOK?)(任意の、でもよい)心的内容に、なんらかの表象・象徴・記号を当てる(た)のであるが、それは単なる約束事であるケースと、本質をついているケースとがある。
例えば、桃・もも、という単語の文字や発音は、本質的に実物の桃に一致した文字の形や発音であると仮りにみなすと、そこには二重の対応がある、といったようなことです(peachはどうかとか。peachはペルシャのリンゴという意味からきているのだそうですが)。

(一文にまとめると理解しにくくなるので、いくつかの文にします。一文で定義を記述しようと思ったのですが、定義とともに構造をも論じることにしたので長くなりそうです)

言葉における単語を発するばあいは、基本的にその逆のプロセスを経る(ただし、このばあいは、心的内容を元にせず、ランダムのような在り方で、単語を発することもできる)。

それら単語を、なんらかの規則のもとに、連結させると、単発の単語より複雑な心的内容に対応させ扱うことができるようになる。それも、心的内容と表象・象徴・記号との対応関係になる。
つまり、心的内容の方は完全に本質的であり、心的内容と表象・象徴・記号の方は便宜的である(本質をついているケースもある)
注)ここで、心的内容を本質としている。
心的内容と意識内容が本質であって、それ以外のものたちは、そこから派生している、あるいは、それに関連づけられている、ということになります。
たとえば、赤という色の本質はエネルギーに伴われる波動パターンである、といったことです。
しかしその場合、赤色の光の波動そのものなのか、それとは関係ないのか、という問題がでてくるので、別な例をあげましょう。冷たい、という感覚は、エネルギーに伴われる波動パターンである、ということになります(仮説。要検証)。
詳しくは別なところで論じます。

心の中で発生した心的内容を、そうやって連結した単語つまり言葉にして外部に発したり(ここは、心的内容が先で、それを言葉にするケースと、逆に言葉が先で、そこから心的内容を生じさせるケースがあって、それら両方の在り方が錯綜・相互干渉発展しながら、心的内容と言葉が生じていくのだろう。研究中です)逆に、外部から言葉を受け、心の中にそれに対応した心的内容(その人なりの心的内容となる。普遍的・共通なところも多い)を生じさせることができる。

(とても、一文にはできませんね)

以上、ひと言で言うと、言葉というのは、心的内容に与えられた表象・象徴・記号、である、ということになります(仮説。要検証)。

もちろん、心的内容まで含ませた(含めた)言葉、という定義もできます。


次に、言葉という表象・象徴・記号の体系と、心的内容というのは、どういった関係になっていて、心的内容というのはどういった構造をしているのか、定義してみます(仮説。要検証です)。


「表象・記号の系」と「(変化する)形」が対応。

「表象・記号の系」と「(変化する)波動パターン」が対応。


注)表象・記号の系というのは、言葉の表象・記号としての、発音、文字、ジェスチャー、記号、絵、数値、コード、などを指します。

注)(変化する)形と(変化する)波動パターンが心的内容のハードウェアです。

注)(変化する)形と(変化する)波動パターンの内容が心的内容です。



なんらかに参考になる例えの実例を挙げてみます。言葉自体ではないが、言葉の構造などになんらかに関連がありそうで、役に立ちそうなものたちです。

DNAコードとタンパク質の形
(この、形、は変化しないと考えられますが)

これは、すべて本質的であって、この世界の法則のもとにある、といえるはずです。


音楽の譜面(これは約束事)と演奏された音楽
(演奏された音楽は、まさに、(変化する)波動パターンです)

これは、演奏者によって奏でられる音楽がなんらかに異なってきます。ただし、共通の要素もある。
それは、言葉も用いる人によってなんらかに異なってくるが、共通の要素もある、ということに対応しています。




以下について、ここでは図が描けないので、言葉で表現します(用紙には描いてあるんですが)。

任意の楽譜を、最も適したように区切った小節たちに分け、それら小節たちを、それを演奏した音楽の波動パターンと対応させる。

そこにおいて、それら小節たちは単語に例えることができ、それら小節たちの連なりは言葉に対応させることができる。

一方、区切られた音楽の波動パターンは単語から触発される心的内容に対応し、それら波動パターンの連続は言葉から触発される心的内容に対応させることができる。



ついで、言葉と形の関係の可能性を

心的内容を形とその変化に例える
形とその変化というのは波動パターンとその変化とそっくりである




さらに、

ジグソーパズルのピース
ジグソーパズルのピースの図柄と切断曲線
ジグソーパズルの完成図
ジグソーパズルの完成図の図柄
それらにおいて、


(春楽天ブログにはもっと詳しく書いてありますが、イメージスケッチなので読みにくいです)



入力→脳(心の器は脳の一部に対応)→意識の器(意識の器は脳の一部に対応)

脳の中の構造や活動、活動の構造・構成、情報処理、の解明は複雑で難しいので、当面ブラックボックスとして扱う。
そこの、入力と心または意識の器における情報の在り方を論ずる。
心的内容の波動パターンと、意識内容の波動パターンは


意識は、心のモニタである(定義の中のひとつ。要検証)
   


(つづく)




質の科学における「質」の定義


「質」の定義;意識内容の定義に、意識の主体に変化を与えるベクトルのような性質を含んだもの。

「質」の定義2;意識内容・クオリアの定義と(に)同じ。





体験の本質
対象の本質
情報の本質
心的内容の本質
意識内容の本質

体験・対象の本質をなんらかの変換によって情報に変換する
情報をなんらかに操作・加工する(思考、
操作・加工した情報をなんらかの変換によって意識内容に変換する
意識内容の中に意識内容の本質がある
意識内容のハードウェアはなんらかのエネルギーの波動
意識内容の本質はなんらかのエネルギーの波動パターン、あるいはそれに加えることの、その波動パターンの内容

空間のエネルギーなどを用いて、対象に意識の器が共振することができるのならば、その共振によって生じた波動パターンが対象の本質(と定義する。要検証)



人間の活動を、形而上的なもの(範疇)と形而下的なもの(範疇)に分ける。

前者は、ひとことで言えば、心(定義は、メモ;質の科学・意識とクオリア・心脳問題の基礎、に複数あります)での情報処理のようなものと、生体維持のための情報処理のようなものである(投稿のどこかに具体をたくさん並べ挙げています)。

後者は、ひとことで言えば、肉体の活動、肉体の活動によるもの、であるが、それは、心がコントロールしている。
ただし、外界から何らかの働きかけを受けることにおいては、自分の心がそのコントロールに参加できるケース(こうすれば、あの人はこうするだろう、その結果そうなった、などです)と、参加できないケース(直前のそれにおいて、そうならなかった、とか、全然予期しない働きかけを受ける、などです)がある。

そこにおいて、前者が後者を制御している(ただし、直前の記述の中で、そこから外れる例があることがわかります)。

以上の記述を基に、人間の活動を、「形而上的な活動」と「形而下的な活動」のふたつに分け、そう名付けます。








意識の主体(このばあい、自分なる意識、あるいは意識、の意)の実体ーその考えられる在り方。

1;脳全体に存在する。
1-1;脳全体というハードウェアに存在する。
1-2;脳全体というハードウェアのなんらかの活動によって生じる。

2;脳の一部分に存在する。
2-1;脳の一部分というハードウェアに存在する。
2-2;脳の一部分というハードウェアのなんらかの活動によって生じる。

3;脳・脳の組織より、もっと波動性の高い存在に存在する。
3-1;脳・脳の組織より、もっと波動性の高い存在のハードウェアに存在する。
3-2;脳・脳の組織より、もっと波動性の高い存在のハードウェアの活動によって生じる。

4;霊魂と呼ばれるようなものに似た何かに存在する。あるいはその活動によって生じる。

5;いわゆる霊魂と呼ばれるものに存在する。あるいはその活動によって生じる。

注)霊魂という単語・概念は、世界中の言語・民族に存在するわけですから、追求してみる価値はあるのではないでしょうか。

6;その他。


以上の六つ、すべて要検証です。



そこにおいて、
意識の主体が、
「3;脳・脳の組織より、もっと波動性の高い存在に存在する。
3-1;脳・脳の組織より、もっと波動性の高い存在のハードウェアに存在する。
3-2;脳・脳の組織より、もっと波動性の高い存在のハードウェアの活動によって生じる。」以下(4,5,も含めて)、
に対応している(そのものである)のなら、心もそれと同系列の存在である可能性が高い(要検証です)。


(再掲。重要ですから)
注)ノーベル賞物理学者・南部陽一郎さんの「ひも理論(弦理論)」、そこから発展させられてきた「超ひも理論(超弦理論)」も、超微細なひもの振動モード・パターンで、素粒子や物質の性質や構造の説明、すべての力の統一理論、などを追求している。
波動パターンというのも、それらの超微細なひもの振動モード・パターンと同じ概念であって、拒否する要素はないといえます。



脳での局所的・分散並列的情報処理と変換について

まず、情報について;
脳の活動(心が(に)対応している、定義の中ひとつ。要検証)→意識の主体における意識内容(意識が(に)対応している、定義の中のひとつ。要検証)、という表現において、矢印の部分は情報の変換を表す、とします。

脳の中で、ニューロンたちが局所的・分散並列的情報処理を行っているわけですが、ほかのコラム・論文(研究中で書きかけの)に、それのありうる可能性・モデルをいくつも挙げています。
ここでは、それらとは異なったアプローチをなしてみます。

任意の時刻における脳の中のニューロンたちの発火たちの様子は、脳における地図のように表すことができる(とする)。
それは、dt経過ごとに、変化した様子・様相を示す。
それは、地図のようなものであるから、行列として表現でき、そこから行列力学のようなものにもちこめる(とする)(量子力学のそれとは限らない)。

一方、意識の主体において、意識内容はエネルギーに伴われる波動パターンであるとする(定義の中のひとつですが要検証)。
それは、波動関数で表現でき、そこから波動方程式のようなものにもちこめるとする(研究中で書きかけの、ほかのコラム・論文に、エネルギーの密度関数としての波動方程式のようなものを記しています)(量子力学のそれとは限らない)。

量子力学においては、行列を用いた行列力学と、波動方程式のふたつがあって、それらは同値である、となっている。

それと同じ関係に前者ふたつがなっている、とすると、前者の行列力学のようなものは、心(のエネルギーの状態)を表現し、後者の波動方程式のようなものは、意識(のエネルギーの状態)を表していることになるのではないか、という推測がうまれる。

その場合で、行列力学を波動方程式に、波動方程式を行列力学に、変換できるとして、その変換が、先に述べた矢印の部分→の変換に当たる、という可能性もある。


行列力学


波動方程式からは、複素数・複素空間がでてくる
そこから、意識は、複素空間に
(仮説です


それは、意識は心のモニタである、という意識の定義の中のひとつにも適っている。



(再掲。重要ですから)
注)ノーベル賞物理学者・南部陽一郎さんの「ひも理論(弦理論)」、そこから発展させられてきた「超ひも理論(超弦理論)」も、超微細なひもの振動モード・パターンで、素粒子や物質の性質や構造の説明、すべての力の統一理論、などを追求している。
波動パターンというのも、それらの超微細なひもの振動モード・パターンと同じ概念であって、拒否する要素はないといえます。





(つづく)


研究途上です。


以上は、私の独自考察・研究によるものでして、まだ、研究途上ですし、ほかの方々のそれらに関する定義は知りません、ということを付け加えておきます。
私の論は、すべてそうです。
で、いつでも、訂正、変更、追加、などします。
ですから、私の記述ものは、すべてまだ中途半端で、書きかけであって、この先も研究を続けていき、手を入れつづけていくという姿勢をとっています。

このコミュに参加して思いを強くしたのですが、私の論は物理的・工学的で、抽象度が高く包括的である、という特徴があると思います。




以上、私の長年の研究結果に基づく構造と定義(研究途上)です(仮説。要検証)




(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)




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